8月17日、昭和電工ドームで行われた大分トリニータ対鹿島アントラーズの試合を観てきた。
実はビッグアイ(昭和電工ドーム)に行ったのは13年ぶり。その13年前は僕は大分トリニータU-15に所属していたから、チケット代なんて一切不要で、IDを見せれば関係者入口からいつでも入ることができた。
いろんな理由があって、これだけ長い時間来ることができなかったわけだけど、クラブ創設25周年記念試合というまたとない機会だったし、思い切ってね。
自分がいつからトリニータを応援してるかを聞かれると困るのは、思い出せないくらい昔のことで、自分もまだ小さかったから。
多分J2に初めて上がった1999年頃だと思うから、小学生になりたてくらいかな。家族に連れられて、市営陸上競技場で開催されるホームゲームは毎回のように通っていた。
常勝クラブではないし、常に厳しい戦いではあったけど、それからチームはJ2優勝、J1昇格を果たした。自分は大分を離れる2006年まで試合を観てきたが、その間J1から降格することは一度もなかった。つまり、シャムスカマジックを目撃してきた少年の一人だったというわけ。
下部組織に所属していたり、幼い頃からいつも応援していた、という以外にもいろいろ繋がりはあるんだけど、多分一番は地元の高校のサッカー部監督かな。
その方は大分トリニータの前身である大分トリニティの元選手で、奥さんと自分の母親が仲が良かったということもあり、小さな頃からお世話になっていた。
ある程度実力がある大分県のサッカー少年たちは馴染みありまくりだと思うけど、(自分がU-15にいた頃のコーチもそうだったし)大分県サッカー協会には元トリニティ・トリニータの指導者が何人もいるから、そういった方々から指導を受けることもあった。
下部組織時代の話をすれば、隣のグラウンドでトップチームが練習している日もあったし、今所属している子供たちにとっても多分そうであるように、トップの選手はいつか自分がそうなりたいという憧れの存在であり、ビッグアイもまたいつかプロになって立ちたい憧れのピッチだった。
なんていうか、本当に身近なところに大分トリニータという存在があって、生活の一部というのも超えて、もはや人生を構成している何かだったんだよね。
誰が興味持つんだよってくらいもっと個人的な部分まで書いて、なぜ今までビッグアイに来られなかったのかを説明すると、それは、自分が大分トリニータも、サッカーも、中学生の頃に辞めてしまったからだと思う。
辞めてからしばらくは意図的にサッカーを遠ざけていたし、元チームメイトがプロデビューしたり、テレビで放送される試合に出場するようになってからは更に悪化して、ニュースで見ることすら辛かった。
なぜ辞めたのかまで言及するなら、大雑把に家庭の事情と言ってしまえばそれまでなんだけど、要は自分の意思とは離れたところに影響されて、でも自分で決める形で、夢を諦めるしかなかった。
せっかくセレクションも受かったのに、イジメられたわけでも、グレるわけでもなく、自分のような形でサッカーを辞める子ってほとんど存在しないと思うんだけど、
そうやってほとんどのサッカー少年とは違う形で辞めたからこそ、サッカーに対しての葛藤・後悔が募り続けていた。
単に下部組織や強豪校に入れない実力だったり、入れたとしても高校卒業や大学卒業までやりきれば、「自分にはプロになる実力が足りなかったんだ」とそれで納得できるだろうし、悔しいだろうけど怪我の場合も強制的に諦めるしかない。
自分の中に長年あったのは「続けていればプロになれたんじゃないか」という葛藤。その葛藤にぶら下がった後悔が、人生においてもずっと自分を苦しめてきた。
仕方なかったんだと強引に納得しようとしても、少年だった自分の選択をどうしても責めてしまった。その後悔に縛られたままだったから、違う明るい人生を歩んでいたわけでもなかったし。
成人してからも、自分はまだ14歳で、まだ青いユニフォームを着てサッカーをしている、という夢を見ることも何度もあった。もう誰がどう見たって大人なのに、心だけはずっと成長できていないような、14歳だったあの頃から時が止まったままのような、そんな状態でずっと生きてきた。
世代別の日本代表にでも入っていればこの葛藤ももっとかっこつくんだろうけど、自分の最高到達地点は多分、国体強化指定選手、もしくは九州エリートプログラムという九州各県から5人ずつ選ばれる合宿に参加した程度。
まあ、その程度なんだけど、「もう君は内定だからセレクションを受けにおいで」とトリニータに誘ってくれた当時の監督や、今のトリサポで知らない人がいないであろう某指導者から掛けてもらった言葉というのはずっと残っていて、近い距離であろうと遠い距離であろうと、いろんな人が自分に期待してくれていたことも当然知っているから、うん、続きのなかった未来を良い結果で想像しちゃうわけですよ。
だからこそ辛かった。そんな気持ちだったからこそ、ビッグアイは憧れの地からトラウマの地になってしまっていた。それが理由。物理的に遠かったというのもあるけど、知り合いに会いたくなかったりとかもあったしね。
辛くてサッカーが見れない時期は続いた。でも大分トリニータが現在どんな状態なのかを追い続けていたのは、自分にとって変わらずに大きな存在であり続けていたからだと思う。その暗い精神状態というのもトリニータあってこそだし。
ナビスコ優勝の試合もJ3降格決定の試合もリアルタイムでは観ていない。だからずっと離れることなく応援しているサポーターには頭が上がらない。
でも自分も辛いなりに、どんなに遠い場所にいても、ずっと応援してきたのは間違いではないと思う。勝利のたびに喜んできたし、敗北のたびに悲しんできた。チーム存続の危機もどれほど憂慮したことか。
多分時が癒してくれて、代表の試合なら徐々に観れるようになって、南アフリカワールドカップ、なでしこの優勝も見届けた。
久しぶりにトリニータの試合を観たのはテレビで放送された2012年の昇格プレーオフ。その後クラブはまた茨の道を進むことになるし、そこから継続して観るようになったわけではないけど、自分にとっては大きな一歩だった。
現地で観ようと思えたのは、東京に滞在していた時、町田ゼルビアとの試合があったから。森のような道を抜ける間に聞こえてきた応援歌で懐かしさに包まれた瞬間は今でも覚えている。
2017年の5月の試合で、両チームの選手にU-15時代の先輩がいて、監督は片野坂コーチで、といった愉快な状況も足を動かしてくれた要因だろう。
それからアウェイの試合にたまに行くようになって、千葉や熊本などに観に行ったし、DAZNでホームの試合も観るようになった。去年の川西の劇的ゴールに感動して瞳を涙で潤ませた一人ってわけ。
今年J1に上がってからはもう1試合も見逃してはいない。
今月4日に現地観戦したサガン鳥栖のホームスタジアムは、練習試合だったが立ったことのあるピッチだったので、(ビッグアイほどではないが)思い入れのある、過去の記憶が蘇る場所ではあった。今までアウェイ会場に向かう際は楽しみな気持ちばかりだったのに、少し複雑だった。でもそれが良い流れを生んでくれたんだと思う。
そして、いろんな想いがあって、正直ナーバスになっていたけど、記念シャツ貰わなきゃでしょ…!と言い聞かせて、この土曜日、ずっと行けなかったビッグアイに行った。
行こうと決意した瞬間がピークっぽい気もするけど、大分市に入るのも13年ぶりだったし、高速バスで別府を通過する辺りからもう変な気分だったな。シャトルバスを降りて、ビッグアイの前に立ったときの脈拍も異常レベルだったろうけど、でも不思議と嫌な感情はなかった。周囲に新しく建てられている建物に驚きながらも、ああ、懐かしいな、と素直に思った。

試合は残念ながら敗北となったが、過去の自分や現実と向き合えたことはよかったと思う。
一サポーターとして、自分の夢の上に立つ選手たちを心から応援することができたし、やっぱり自分は大分トリニータというクラブが大好きなんだと改めて感じられた。
ずっと愛している。幼かった自分がきっとキラキラした目で見つめていたチームを、20年経った今も変わらず愛している。それ以外の感情は、どうやっても持てない。
当然あの頃と比べれば、監督も選手も変わったわけだけど、変わっていないものも沢山ある。
相変わらず僕らのトリニータは貧乏な地方クラブだ。この夏も個人的にかなり好きだった藤本がヴィッセル神戸に移籍してしまった。
シーズンオフに、売れる選手を売るしかないという状況は過去にあったけど、こんなシーズン途中で、エースが、10番が、お金の力で、引き抜かれるようなことはなかったから、本当に辛かった。
でも、そういった辛い状況を何度も乗り越えてきたのが大分トリニータというチームであり、そのチームを応援してきたのが自分を含めたサポーターたちなはず。
こんなドラマチックなクラブが他にあるだろうか。最高のカタルシスもまだ残している、現在進行系のストーリーの最中だと本気で信じている。
2万8000人を超える来場者の誰一人として知らない想いを抱えて観に行った試合だったけど、この25周年記念試合を企画してくれた運営には感謝しかない。
最近はTwitterでサポーターの方たちと交流しているのも心強かった。当日お昼過ぎまでどうしても外せない用事があり、2万5000枚限定のシャツを無事受け取れるか不安だったけど、「もし貰えなかったら私のあげるよ」と優しい言葉を掛けてくれたお姉様には心の底から感謝しています。頑張って行こう…!と思えたし。
これからも30年、50年、100年といつまでもクラブが存在し続けてほしい。
寿命のある自分は死ぬまでしか応援できないけど、絶対に死ぬまで応援するから。
そして、ずっと愛し続けるから。大分トリニータというクラブを。


