多少なりとも人は「やりたいこと」というものを持つわけで、そりゃもう様々な「やりたいこと」があるだろうけど、その中の若い間にしか出来ないこと、または年を取ると億劫になることはやはり若い間に済ませておきたい。
年を取ってあのときやっておけばと後悔しない為にそれをやっておきたい。
それをやる為なら、そこで後悔を増やさない為なら、人と歩く道を変えるということにもう一切躊躇いはない。
かっこつけではなく、ただやりたいことをやるということを自分の将来の出来るだけ正面に置いて重要視していきたい。
刹那的快楽というか、その場の快事だけを無計画に追い求めてはそりゃ当然後悔が生まれるだろうけど、計画的に行けば(博打要素は大いにあるけど)なんとかやれるという算段はある。
そうする理由はとても単純明快で、ただ最終的な人生への満足度というものが、減点式で後悔に削られていきそうな気がするから、というだけ。たったそれだけの予想に動かされているだけ。
春は桜色
春は桜色。桜の色。長い冬を耐え抜いて花開く、この世で最も美しい花の淡い色。桜はやはり散り際にその美しさを際立てる。桜色の花びらが、まだ少し冷たい春の風に吹かれ、短い命を儚くも見事に舞い散らせる瞬間。
夏は青。青空の色。かんかん照りの太陽も、巨大な入道雲も、元気に育った向日葵も、夏の青空が一番似合う。蝉の声を聞きながら、あの日見た入道雲のように、遥か遠くにあった未来に立って、懐かしき過去の日々を振り返れば、いつだって、いつまでも色褪せない想い出が蘇ってくる。
秋は赤。夕焼けの色。真っ赤に染まった夕焼け空は、カラスとともに一日の終わりが迫っていることを知らせる。日没も早まり、一年の終わりすら予感させる黄昏時の帰り道に、思いを馳せるのは今日のことか明日のことか。また赤は紅葉の色でもある。世界を真っ赤に染め上げる季節。
冬は白。雪の色。夜が明けて、白い息を吐きながら、カーテンを開けると、窓の外に広がるのは一面の銀世界。最初の足跡をつけようと胸を躍らせるのは、決して子供と犬だけではないと教えてくれる無垢の季節。キラキラの雪化粧を施した草木が眠りにつくのは、めぐる季節の中で、再び目覚める芽吹きの時を待っているから。古い生命は終わりを告げ、新たな生命へと生まれ変わる。
完全に清少納言さんの「春はあけぼの」のパクリ、オマージュです。
春はあけぼのは枕草子の第一段、それには時間帯(明け方や夕暮れ)が挙げられているけど、ここでは色にしてみた。
結果的に元と被っているようなものもあるけど、一色に絞るのというのも難しかった。
特に夏。青ではなく、空色や天色とするのも良い気がしたし、花火も(夜空に咲く方も線香花火も)書きたいけどお決まりの色なんてないし。夏を読まれた和歌や俳句が少ないことからもわかるように、もののあはれ感が最も少ない季節なくせに、一番カラフルな季節っていうね。
他には秋の月夜や冬の夜の街灯に照らされる雪なんかも悪くなかったかも。ちなみに梅雨の色を挙げるなら紫です。
これもまたカテゴリーを作ったばっかしに、記事が見つかりません状態が続いていてどうしようかと思っていたから、書いてみたというあれ。
捻りはないけど、良いと思うものをただ良いと、当たり前を当たり前に挙げてみた。
今はこの随筆(エッセイ)はあまり更新しないと思うけど、書きたいこと伝えたいことは山程あるわけで、そのうち書くようになると思う。