はじめての(ピカ)チュウ

横浜赤レンガ倉庫というおしゃれな建物のすぐ近くに「北朝鮮工作船展示」なる物騒な文字が見えて前日から気になっていたので、その海上保安資料館横浜館へ入ってみることにしたら…

2001年の九州南西海域工作船事件についての展示だった。

九州南西海域工作船事件というのは、日本のEEZ内にいた不審船(北朝鮮の工作船)に、海上保安庁巡視船が停船を命令するも無視して逃亡し、ロケットランチャーを含む銃撃戦が行われた結果、日本側が海上保安官3名負傷、北朝鮮側が自爆によって推定15名の乗組員全員が死亡した事件というか、もはや紛争。

館内には、自爆して沈没しその後引き上げられた船体や朝鮮人が所持していた兵器などが展示されていたり、当時の実際の映像が流れていたんだけど、

本当にViva La Vida!?

Coldplayの6年ぶりの来日公演があり、その同じ週にKitriのカバー曲限定のレアなコンサートも開催されるとのことで、約一週間関東に滞在していたのでそれについて。

ジェットスターのピカチュウジェットに乗りたいんだけど、運行スケジュールは2日前にしか発表されないから完全にガチャなんだよねガチャ。

はい、ハズレました。参加賞(機内サービス)のキットカット。通常の便ではこれだけがピカチュウ要素。

18才の青春18きっぷの旅

全都道府県制覇まであと4県となったのは去年の夏で、満を持してといった感じで(何かしらやることあって余裕がなかっただけ)、1年後のこの夏に全クリしてしまう予定なんだけど、
多分”旅をする若者”になったきっかけは、18才なりたての高校生の夏休みに、青春18きっぷを使って日本横断(?)旅をしたことだと思う。
当時僕は福岡市の高校に通う3年生で、まあ、今よりずっと若くて、大学には行かないと勝手に決心したぐらいの頃で、きっとここではないどこかへ飛び出したいような気分だったんだろう。

旅の内容を端的に言えば、鈍行列車で福岡からひたすら北上して北海道まで行って、札幌からは夜行列車で上野へ。しばし千葉に住む従兄弟の家に滞在して、博多へと戻るといった行程だったかな。帰りはあっという間だった。
もう9年前のことだし、予定なんて一切組んでいない行き当たりばったりの旅だったから、印象的なエピソードを中心にかいつまんで話そうと思う。

始発の電車でスタートした初日は、宮島に寄って、広島市内もちょっと散策して、岡山までたどり着いて、ネットカフェに泊まった。
本当は四国で泊まるつもりだったんだけど、瀬戸大橋線でたどり着いた四国の駅前(坂出駅だったかな?)は、ジョイフルしかねえ…これは泊まれないぞ…と焦って岡山まで戻った。
でも岡山駅に降りてみると、ホストとキャバ嬢の大行進みたいな謎の集団が歩いてるし、ガラの悪い男たちのグループの中にいたおっさんが、薄汚い犬を強引に掴んで噴水に投げ入れてて、犬の嫌な鳴き声聞こえてるし、岡山ってヤバいとこだ…と焦ってネットカフェまで移動した。
途中、地下道からストリートライブの音が聞こえてきて気になったけど、とにかく今日の宿を確保しないと…とビビりながらね。

んでそこに泊まれたはいいんだけど、朝になって顔洗ったりなんだりしたいのに、トイレ汚いし、どこか水道のある公園でも探すかーと出てみたわけですよ。
でもなかなか見つからなくて、岡山城の近くにある公園が大きそうだし、ここならあるだろう…と橋を渡っても、5時前だったからか時間が早すぎてかなんだかで入れそうになくて、ここも駄目なのか…もう引き返すしかない…と駅方面へと橋を戻ろうとしていたら、
橋の向こう側から何かが猛スピードで近付いてきて、
え…?何…?何だあれは…?ええ…?えええ…!!!!
と、近付いてきたそれは自分の横を通って、公園の奥の方へと消えていったんだけど、まあ、それが何だったかというと、
「自転車に乗って、セーラー服を着た、全身毛むくじゃらの、デブのおっさん」だったわけですよ。

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