宇佐新道 筑紫の路 第五段「女神の島」

11月15日。
生活リズムはぶっ壊れてるし、気分もどん底近くのかなり下の方まで落ちてるし、一切楽しくない日々が続いているけど、でも行くしかないだろうと。だからこそ、楽しみは自分から探さないと見つからないだろうと、強引に5時半に起きた。

しかし福間駅から再開地点の「奴山口」バス停へ向かうバスを待っているのに一向に来なくて、ただでさえ初めて乗るバス停で不安なのに、今朝は1時間弱歩いてからのフェリー乗船という予定だったからもう気が気じゃなくて、定刻から30分遅れで来た時にはもう精神的に疲れてしまっていた。
運転手の男性は「~~~トラブルで遅れまして~~~」とアナウンスしていたけど、発声する気のない弱々しい声だったから何のトラブルかはわからずじまい。彼が寝坊でもしたのかもしれない。

予定通り下車して歩いてフェリーに間に合うか…?でも途中の年毛神社に寄ったりしていれば確実に余裕はなくなるぞ…と悩んだ末に、船を逃すのは本気で洒落にならないと、バスでそのまま「神湊港渡船ターミナル」へ向かうことにした。

自分に落ち度はないから仕方がない。100%西鉄バスが悪い。いや、誰も悪くない。こんな日もある。
歩けなかったけれど、二度バスで通ったという意味では、道の景色もしっかりと目にして通過している。一般車ですらすれ違うのが難しいような細い道も通ると知っている。

車窓から見えるリゾートホテル「オテルグレージュ」

ターミナル前でバス下車。神湊と書いて、こうのみなとと読みます。

 
大島と地島行きのフェリーと旅客船が出ている。大島へは片道570円。

歩かなかった分少し時間が空いたので、周辺を散策してみた。いろんな場所にいろんなカフェがあるよね。

中央奥の建物がターミナルで、港の関係者が暮らしていそうなマンションや、

廃墟と化している神湊ビーチホテルも。今月火事が起きたらしいが、間違いなくDQNが肝試しにやって来て、その際の煙草の不始末が原因かと。

海っていいよね。海から遠い場所に住んでいるわけではないけど、普段ここまで近づくことはないから、波の音を聞いていると落ち着く。

島の南東から、時計回りで一周する予定。

神湊9時25分発のフェリー「おおしま」に乗船。

乗客はスーツを着た仕事関連の人、通勤で向かっているというバイク乗りのギャル、観光の家族、釣り道具を持った男性、女性のトレッキンググループ等がいた。50人程はいたかな。もっと多かったかもしれない。平日でも案外いるもんだなと感じた。

波は高くないが想像以上に揺れた。だがフェリーに乗って海を渡っている時間は非日常以外の何でもないので悪くない。メンタル粉々状態だから下手したら泣きそうだったけど。

25分程で到着。周囲約15km、人口約700人の島。

甘夏アイス食べたい…帰りに食べられるかな。

大島渡船ターミナル内にある売店でレンタサイクル受付をして、ここからは自転車の旅。
駐輪場係の若い女性からは「奥には自販機がないので飲み物はこちらで買っておいてください」と言われた。だが自販機は完全にないというわけではなかった。

島で暮らした経験がないからこそ、なんだかいいな、と思う生活の香り。

20番、宗像大社中津宮。

宗像大社の説明をしておくと、沖ノ島「沖津宮」、ここ大島にある「中津宮」、本土にある「辺津宮」の三宮にそれぞれ三女神が祀られていて、三宮の総称が宗像大社となっている。
宗像三女神は天照大神と素戔嗚命の誓約(占い)から生まれ、宇佐神宮の比売大神も宗像三女神と同一神とされている。九州北部の土着神が大和朝廷や海を挟んだ大陸の影響を受けて国家神となった形で、九州と大陸の間にある島々として、その道の要所として、古代から人々を助け、あらゆる道の最高神としても崇敬されている。

境内の端に自転車を停めていたら、同じレンタサイクル仲間のおじさん二人組の帽子を被った方から「ここ置いとっても大丈夫よね?」と聞かれた。彼らとは度々会うことになる。

久しぶりに手水舎を本来の形で使った。

ちなみに、皆さんご存知の厳島神社の御祭神も宗像三女神。政治の中心が大和へと移行したのに従い、筑紫の国から宮島へもこられたと。

君、どこにでもいるのかい?

例の日本海海戦の日誌。本日天気晴朗ナレドモ波高シ。この海戦・日露戦争で大日本帝国が勝利していなければ、現在も有色人種は白人の奴隷だったかもしれない。その白人国家に大勝という結果が第二次世界大戦の大敗にも繋がるのだろうけど。

なんだか絵になるおじいさんだが、神職の人に「すみませんそこ座らんでください!立って?」と注意を受けていた。

天の川を渡って、織女神社へ。七夕伝説発祥の地という説もあるんだとか。

まあ、登るよね。短いが、崖。

中津宮を後にすると、マスクを外して、本土のあれこれなんて作り話かのように、また海の香りを感じながら、波の音を聞きながら、自転車をこいだ。道を間違っても最高さ()

しかしですね、この日の自転車旅の感想を先に書いておくとですね、正直かなりきつかったです。
登り坂があんなに長く続くとは思っていなかった。レンタサイクルに電動アシストがついていなかったらもう太もも死してたと思う。太もも死。アシストがあってもきつかったんだから。

自転車なので途中の写真も少なめ。選ぶ母数が減って楽という面もあるが、あ、今の面白いな!と思うような場所もスルーするしかなかったり。

まあ、上り坂があるということは下り坂もあるということ。峠の頂上の先はもう、ゆずもドン引きするくらいには長い長い下り坂だった。
この長い長いいや長すぎるいや本当に長いどこまで続くのちょっとめっちゃスピード出るし怖いくらい加速してるしジェットコースターより体感怖い下り坂を~!!!ってくらい。

そんな感じで、長すぎる上り坂と下り坂を何度も繰り返してへとへとになる一日だった。また先に書いておくけど、レンタサイクルではなく車で移動すべき島だったと思う。きっとレンタサイクル利用者のほとんどが同じ感想を抱くはず。運動にはなるけどね。

津和瀬という入り江に到着。

夫婦岩と珍しい形の鳥居。大島ではこの形の鳥居が多いのだろうか。

寛永20年にポルトガル船が着岸し江戸に連行された記録があるらしい。そういった逸話を知ると遠藤周作の沈黙を思い出してしまう。

こういう場所にある民宿もまた良いな。釣りが好きなら釣りをしてもいいし、何もせず海に沈む夕陽をただ眺めてもいいし、海の幸に舌鼓を打ったりもできるだろう。

先へ進んで、大島灯台へ。

途中途中で海の方を見てわかってはいたけど、やっぱり沖ノ島は今日見えないな。ただ、視界の限りに広がる水平線は見える。

こんな灯台近くにも建物が。一日一組限定のMINAWAという宿らしい。オーシャンビューがさぞ美しいことだろう。もはや住みたいくらいだ。

灯台前に自転車を停め、三浦の洞窟へと歩いていく。

多分人があまり来ない場所で、草木が伸びているので長袖長ズボンでなければ傷ができそうだし、滑る坂もあったりと危険な道だった。



海岸からもそう離れていない岩陰まで下りてきて洞窟を見つけると、よくこんな場所にお地蔵さんを集めたなと感じた。怖かったのはホラーというより、自然への畏怖が極限まで高められたような空間だったからかな。
落石の恐れがあるということなので、置かれていたあまり美しくはないヘルメットを被って暗い洞窟、洞穴の中へと進んだ。

南無地蔵菩薩。苦悩から救ってはくれまいか。半端者には救済の手は届かぬか。

三浦洞窟から戻る細い道の途中で女性二人組が自分を待っていて、
「どうでした?」
「とりあえず…そこ登るところ、かなり滑りやすいんで気をつけてください」
「行った方がいい場所ですか…?」
「いや…危険の方が高いかと…」
「そうですか!ありがとうございます!」と感謝される会話があった。

灯台へと戻ってくるとおじさん二人組がいて、また帽子の方から話しかけられて、「きついね~」「きついですね~」「下っても上りがある」と。
本当に想像以上にハードな島だ。いや、キツい道が待っているなんてまったく予想していなかった人がほとんどだろう。

自転車と歩きと気温上昇で暑くなってきたので一枚脱いだ。ただ下り坂で風を受けている間は寒かったりするので服装が難しい。

灯台を正面に、左へ行くと先程の洞穴で、右へ行くと馬蹄岩への道。

終始屈みながらの歩行。

素晴らしい、としか言い表せない絶景が待っていた。

陸軍省と書かれた石碑が岩場の先端にあり、そこから断崖絶壁や、灯台、風車、玄界灘の水平線等が見えた。


岩場を下りていき、波しぶきもかかる岸辺まで近づくと、微かに見えるような気もすれば、まったく見えない気もする、沖ノ島の方角に体を向け、岩に腰掛け、しばらく海を眺めていた。
意外にも頭は何も浮かんでこなかった。未来への希望や喜びがあるわけではないが、悲しい記憶や将来への不安を考えることもなかった。その場所やもう少し上の安全な場所で、ただ海の方を眺め続けていた。

取り付ける島もなくまだ小夜嵐沈むか着くか神のまにまに


馬蹄岩は沖ノ島に祀られる田心姫神が、馬に乗って大島から沖ノ島へと飛び立つ際の馬の足跡だとされている。大跳躍だ。

小さな仏像に番号が振られているのは大島四国霊場八十八ヶ所のお地蔵さん。

お馬さんの香ばしい匂いがするカナディアンキャンプ乗馬クラブ・大島むなかた牧場を通過すると、

日本海海戦・戦死者慰霊碑。

ロシア側4830名、日本側117名の英霊の安らかな眠りを祈る碑。

時間配分が難しかったり、先程の灯台等がコースに入っていなかったりはするが、バスで回るというのもありかな。疲れずに済む。

島一番の絶景スポットとされる風車展望所の近くなので、バス停もフリーWi-Fi付きトイレも設置されているんだけど、設置する意味あるのか…と疑問に思うほどには遅い回線だった()

おっちゃん二人組と再会したのでまた話した。
「きついね~」
「きついですね~、結構上りが長いんで太ももがパンパンになってます」
「普段こんなに長く乗らないから太もももふくらはぎも大変だよ~」

こちらは砲台跡。草の茂みに小動物の骨があって、それを見つけた関西弁の女性二人組は怖がりながらも、ウサギかなあ?猫かなあ?でも誰が食べるんやろ~と。

砲台跡の上から見える風車。

少しメルヘンな色合いで可愛い。

奥のベンチではトレッキング系女性グループがお昼ごはんを食べていた。バナーを使って何かを温めたり、お刺身を開封して喜んだり、とても楽しそうだった。

今日こんなに見知らぬ人と会話をすると想像していなかったのも含めて、良い時間を過ごしているなと感じた。
マスクを外したりずらしたりしている人がほとんどだけど、きっと誰も不快には思っていないし、みんな日常から開放されて、今嫌な思いをしている人はこの島には誰一人いないんじゃないかとも思えた。

だが、風車からの移動中、ブレーキをかけていてもそれなりのスピードが出る長い長い下り坂のカーブで、突然対向車が現れて、危うく事故るところだった。車も自転車も歩行者もほぼいない場所だとお互いに警戒心が薄れてしまう。急ブレーキで避けたが、本当に危なかった。

そして宗像大社沖津宮遥拝所。渡島が禁止されている沖津宮を参拝するために建てられた社殿。

こちらを21番とする。49km先にある沖津宮の拝殿として。

沖ノ島はやはり見えない。でもいい。多分一生上陸することもできない。それでもいい。こうして海の向こうへと遥拝することはできるから。残念だとかそういった気持ちも一切ない。

重要スポット付近には宿があるようで、この近くにも民宿があった。もう経営側になりたい気分。
おじさん二人組はこれまで同じルートだったが、それはどうやら遥拝所までのようだった。しかし自分は島のこの北の位置からもう半周する。

島の東にある加代海岸。福岡藩の流刑場だったらしく、勤王浪士も多数流され、月形洗蔵等が自給自足の生活を送っていたらしい。魚でも釣っていたのだろうか。

穏やかな波で、水も澄み、漂流物も少なく、綺麗な海岸だった。

それからまたぐるっと回り、ほぼ一周してからの、かんす海水浴場。

musubi cafeにはレモネードやあまなつシェイクがあるらしく、テイクアウトしてビーチで飲もうかと思ったが、不定休日に当たってしまった。土日祝は確実に開いてるだろうけどね。

じーーーーーっ。


こちらの海にあるのは夢の小夜島。連歌師の宗祇が筑紫道中記で「浜千鳥声うちそへておほしまの波の間もなく誰を恋らん」と詠った場所。
それぞれ詩の種類は違えど、西行・宗祇・芭蕉はやはり特別だ。詩と旅に生きた男たち。

先程とは違う猫さんとの交流。


ホットサンドやボトルに入ったメロンソーダ・ブルーハワイソーダ等を提供しているKitchen KAIKYUというお店にも、キッチンカーの漁師サンドにも惹かれたんだけどね、もう海鮮丼食べる!って最初から決めてたからね、仕方ないよね。

入り口が思いっきり民家の玄関な「壽や 三郎」という海鮮料理屋。

店主は気さくなおっちゃんだったが、ワンオペで非常に忙しそうで、片付けてから入れるから待っててね、と言われたが、それからしばし玄関で待つことになった。
店内には度々会ったおっちゃん二人組(ハゲてて一瞬誰かわからなかったが帽子の人だった)や、三浦の洞窟での女性二人組もいた。あと二組の子供連れの家族も今日どこかで見かけた気がする。

特選海鮮丼。2200円となかなかの値段だが、新鮮を超えて、魚が魚魚していて美味しかった。大満足。


だがしかし、みんな島巡りを終えて、14時40分のフェリーで帰るつもりなんだけど、一人で約十人分の食事を作っているからなかなか出てこずに、揃いも揃ってひやひやしていた。
自分の海鮮丼が運ばれてきたのが14時10分頃。最初はまあ大丈夫だろうと余裕を持って食べていたが、隠れていた白飯が結構ボリュームがあって、途中からは急いで食べることになった。
店主のおっちゃんと女性が会計時に「ひやひやしたやろ~?」「なかなか出てこない時はどうしようかと思いました~」「俺もフェリーが迫るとね、ひやひやするんよ!」という会話が聞こえてきたのには笑った。

玄関横の大漁旗の後ろに大型犬がいて、男の子が本気でビビっていて可愛かった。そうだよね、でっかいわんわんって怖いよね。

食事・会計を済ますと、急いでターミナルへと移動し、レンタサイクルを返却して、あまなつアイスは断念したが、あまなつまんじゅうと大島の塩飴を買って船へと向かった。じっくり選ぶ余裕なんてまったくなかったけど、塩飴がかなり美味しくて大当たりだった。

帰りは旅客船「しおかぜ」で。さよなら大島。

船の中でも、本土に戻ってからも、今日この先辺津宮まで歩くべきか?と悩んでいたが、
眠たすぎるし、次の次が登山予定なのに、これ以上進んでしまうと次回が中途半端に短くなりすぎるということで、
今日はもう歩きに重きを置かないイレギュラーな日でいいかと、10分くらい待てば来るほぼ接続していると言ってもいいバスに乗って、東郷駅まで移動して終了とした。

立ちこぎを続けた影響か二日後まで膝が少し痛かったし、一瞬で苦しい現実に戻るのはわかりきっていたんだけど、それでも良い滞在だったと思えた。
人にも勧められるほど観光地としてもいろいろと揃っている。大島、よかとこばい。


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