多分、死ぬよかマシだから

どうも、100日後も多分生きてる人間です。

もう暖かくなってきて、桜も開花しようとしているのに、
個人的には、期待していた3月が絶望的な結果に終わるのが見えてきて、その大事に抱えていた期待とやらをどう処理していいのか迷っている春分の日にいます。シワシワにはなってますが一応まだ我が腕の中にあります。
何もかも上手くいくはずがないことはわかっていても、何もかも上手くいかないなと感じてしまうほどに落ち込むことはあるものですね。こういう時は決まって、もっと工夫なり何なり手は尽くせたのにな…という後悔が後ろからついてくるものでね。

でも、それでも、コロナの影響で借金を背負うことになったり、電車に飛び込むしかない人もいるわけで、そういう”死ぬしかない状況”に比べたらマシだと思うことにします。(投資は何十万か含み損になってますけども…)
もう今更気にするようなことじゃない、ってな物事は増えてきて、これが大人になる、だったり、楽になっていく、と聞いていたことなんだろうけど、
冷静に考えたら、なんかかっこつけてはいても、自分って結構絶望的な状況にいない…?と気付いたりして、まあ笑えなくて、
底辺を這いつくばるどころか、それより下にある泥沼にズブズブと沈んで呼吸もしづらくなっている感じがしますけども、なんていうか、

もはや美しくは生きられないんだけど、まだ死ぬわけにもいかないし、
見苦しくても、頑張れるだけ頑張って、泥臭くても、なんとか生き抜きたいと思います。
生き抜けなかったときはあの世に向かって一度合掌でもしてください。ジーザスの横で漫画でも読んでます。

以上、ちょっと疲れちゃったから旅にでも出たい。でもコロナあかん。っていう話でした。
楽しみにしていたイベントもことごとく潰れちゃったし!嗚呼!
皆さんはどうか素晴らしい春にしてください。僕はそれを願っています。

宇佐新道 ―宇佐神宮への新たな信仰の道―

突然何を語り出すんだと思うだろうけど、まあ、読んでいってくださいな。
端的に言えば、自分で巡礼路考えちゃったって話だから。宇佐神宮への道をね。
そして、宇佐神宮自体の人気を復活させたいっていう内容だから。

とは言っても、何から語ろうかな。どうせ長くなるだろうけど。
よし、宇佐神宮についてにしよう。

現代を生きる大半の人々が知らないことだけど、かつては伊勢神宮を超える信仰を集めて、最も権威ある神社だったのが宇佐神宮。
その理由は、神仏習合が当たり前だったかつての日本で、御祭神である応神天皇が、戦いの神(武神)や鎮護国家の仏である「八幡大菩薩」として多くの武家たちに崇められたから。
皇室の宗廟として皇室からの崇敬も集め、信頼されていたという点も挙げられる。八幡神が、先代の天皇や神々を差し置いて選ばれていたのは、(崇敬対象として)現実的な皇祖神だったからだと思う。
もちろん(応神天皇の祖でもある)天照大御神、その天照大御神が祀られている伊勢神宮が最重要なことには変わりないけど、 古の存在すぎて、あるいは高貴すぎて、信仰とはちょっと違うような感じだったんじゃないかな。言葉で説明するのは難しいけど、日本人ならわかるよねきっと。

宇佐神宮には、主神である八幡大神以外の御祭神も二柱いて、それは比売大神と神功皇后。
比売大神は、諸説あるけど、基本的には海や道の神である「宗像三女神」とされている。
神功皇后は応神天皇の母。お腹に子(応神天皇)を宿したまま三韓征伐を率いたりした、実質日本初の女帝。
この三神を合わせた「八幡三神」が、全国の八幡宮や八幡神社に祀られている。御祭神で分類すれば全国一位の数となるらしい。
そうです。約4万社ある八幡様の総本宮が、大分県宇佐市にある宇佐神宮というわけです。

宇佐の地は磐座信仰が元になっているだとか、元宮は福岡県にあるとか隣の中津市にあるとか、歴史の古い神社故にいろんな説があるけど、
とりあえず、国家の危機を救う神託を受けるために、都から遠く離れた九州にある宇佐まで朝廷が和気清麻呂を走らせたりと、宇佐は日本国最高レベルの権威ある地だったということだけ覚えといてもらえれば充分です。都が奈良や京都に移っても、宇佐は偉大であり続けたというわけです。
上には書かなかった様々な理由も含めて、宇佐神宮は伊勢神宮に唯一匹敵する最強の神社と解釈してもらえれば結構です。ええ。そういう歴史があるので。

大分トリニータの歴代ユニフォームをまとめてみた【1994年~2026年】

昨日、2020年のユニフォームが突然発表されたもんだから、急いで作っちゃいました。こんな記事を。
ネットの海からの拾い画もあるので、なしか!これうちの写真やけん!勝手に使わんで!って方がいたら教えてください。
では早速、いきましょう。クラブ創設から25年+1の歴史です。

※追加で最新年まで更新しています!(クリックで下まで飛べます)

1994年 ~ 1998年

一番左が1994年、以前のチーム名である「大分トリニティ」時代の初代ユニフォーム。番号以外は何も付いていない真っ白な、いや、(良い意味で)真っ青な、はじまりのユニフォーム。
クラブ設立はワールドカップ開催地招致がきっかけであり、その母体を持たないチーム名の由来は県民・企業・行政の三位一体でチームを育てていくという姿勢を示すものであり、チームカラーは自然豊かな大分県と東洋のナポリと呼ばれていた別府を結びつけて、イタリア代表(アズーリ)から着想を得て「地中海ブルー」が選ばれた。今では東洋のナポリも地中海ブルーもそのフレーズを使ってる人は誰一人いないけど。

それから1995年、1996年、1997年。
胸スポンサーは朝日ソーラーで、この頃のサプライヤーはプーマではなくアシックスやミズノだった。
文字通りゼロからのスタートであり、一度でも躓けばチーム消滅という背水の陣でありながら、県リーグ→九州リーグ→全国地域リーグと順調に駆け上がり、クラブ創設から661日という史上最短記録でJFL昇格を果たした。

そして一番右がJFL最後のシーズンである1998年。この年からサプライヤーはお馴染みのプーマに変更。胸にはTrinityと書かれてある。

【シーズン成績】
1994年 : 大分県リーグ 優勝
1995年 : 九州リーグ 優勝 | 地域リーグ決勝大会 準優勝
1996年 : JFL 10位
1997年 : JFL 12位
1998年 : JFL 6位

【追加】
-1994 FP 1st & GK-

-1994 FP 2nd-

-1995 FP 1st & GK-

-1995 FP 2nd-

-1996 FP 1st & GK-

-1996 FP 2nd & GK-

-1996 FP 2nd-

-1997 FP 1st & GK-

-1997 FP 2nd-

-1998 FP 1st & 2nd-

-1998 GK 1st & 2nd-

Scroll to top