小学生の頃に本物のショットガンを突き付けられた話

「人にはない珍しい経験をしたことがある人」というのはいると思うけど、僕もその一人でして、その中でもかなりレアな方で、99.99%の日本人が経験したことがないこと、今後もまずありえないであろうことなんだけど、
実は、小学校3年生だか4年生のときに、実銃を突き付けられて脅されたことがあるんですよ。
信じられないような話だろうけど、完全なる実話でして、詳しく話すとこんな感じです。

まず、自宅からそう離れていない場所に転校してきたパワー系の巨大な兄妹がいて、その兄貴の方がまあ意地悪な上級生で、
自分の小学校は、登下校中に黄色い通学帽を被ることになっていたんだけど、ある日の帰り道、その上級生に出くわしてしまって、帽子を奪われて、田んぼに投げ捨てられたわけ。
上級生は謝るわけもなく、助けるわけもなく、とっと帰っちゃうし、当然嫌な気持ちになりながら、一人で田んぼに下りて、自分の帽子を拾いに行った。
そしたら、なんと不運なことか、その田んぼの所有者である、めちゃくちゃ恐ろしい雰囲気の白髪の爺さんに見つかってしまって、「こっち来い!!」と大声で呼ばれ、近くで猟犬が吠え続ける中、彼の軽トラまで移動した。
詳しい会話内容は覚えていないけど、助手席側のドアを開けて、そこに半身で乗り出した爺さんは、狩猟で使用している本物の散弾銃(いわゆるショットガン)を小さな自分に向けて構えて、その状態のまま、説教を超えた、「殺すぞ」といったような脅しが行われた。

恐怖で震え上がったままだったけど、事件現場()が自宅近くという不幸中の幸いもあって、なんとか家へ帰り着くと、様子のおかしい自分を心配する母親に、今あった出来事を話した。
母親もそんな対処初めてなわけだし、きっと意味がわからなかったと思うけど、気付けば、今度は警察のお兄さんが私服姿で家に来ていて、そのお兄さんに対しても説明した記憶がある。

クオーターライフ・クライシス

内容的には、以前書いた「人生のスピード」という記事に重なる部分はあるけど、
まず、タイトルの「クオーターライフ・クライシス」というのは、生まれてから四半世紀が経過した20代後半ならではの悩みのこと。
人生の半分にはまだ全然届かないけど、確実に4分の1は終わってしまい、まだ若者ではあっても、若者ではなくなって(いられなくなって)いくのを感じる時期。
でも大人として見れば、社会的経験や地位もまだ未熟で、堂々と胸を張れるというわけでもない時期。
そういった時期に感じる、自分や現状に対する不安や焦燥感が主に挙げられるかな。

なぜそういった負の感情を感じてしまうのか、実際に20代後半の自分が体感してわかったからちょっと書いてみようと思う。
26歳になって、なんだこの焦りは…?と違和感を覚え始め、27歳になって、(大阪の街を歩いていたらふと)ああ…そういうことか…と自分なりに理解できたので。

年代が変わる時期に、年齢を意識する悩みってのは付き物だと思う。
でも10歳前後の自我なんてあってないようなものだし、19歳や20歳頃の実質最初のステージアップも、まだまだ子供で「大人ってどんな感じなんだろう…?」という関心は持っても、大半は学生の年齢だし、次のステージのことを深く考えている方が圧倒的少数。それが未知なるものすぎて…ってのも理由にあるはず。
多分、人生の転換期となりうる時期でもあるし、ステージアップで悩む最初の時期が20代後半なんだと思う。

大分トリニータというクラブを愛して

8月17日、昭和電工ドームで行われた大分トリニータ対鹿島アントラーズの試合を観てきた。
実はビッグアイ(昭和電工ドーム)に行ったのは13年ぶり。その13年前は僕は大分トリニータU-15に所属していたから、チケット代なんて一切不要で、IDを見せれば関係者入口からいつでも入ることができた。
いろんな理由があって、これだけ長い時間来ることができなかったわけだけど、クラブ創設25周年記念試合というまたとない機会だったし、思い切ってね。

自分がいつからトリニータを応援してるかを聞かれると困るのは、思い出せないくらい昔のことで、自分もまだ小さかったから。
多分J2に初めて上がった1999年頃だと思うから、小学生になりたてくらいかな。家族に連れられて、市営陸上競技場で開催されるホームゲームは毎回のように通っていた。
常勝クラブではないし、常に厳しい戦いではあったけど、それからチームはJ2優勝、J1昇格を果たした。自分は大分を離れる2006年まで試合を観てきたが、その間J1から降格することは一度もなかった。つまり、シャムスカマジックを目撃してきた少年の一人だったというわけ。

下部組織に所属していたり、幼い頃からいつも応援していた、という以外にもいろいろ繋がりはあるんだけど、多分一番は地元の高校のサッカー部監督かな。
その方は大分トリニータの前身である大分トリニティの元選手で、奥さんと自分の母親が仲が良かったということもあり、小さな頃からお世話になっていた。
ある程度実力がある大分県のサッカー少年たちは馴染みありまくりだと思うけど、(自分がU-15にいた頃のコーチもそうだったし)大分県サッカー協会には元トリニティ・トリニータの指導者が何人もいるから、そういった方々から指導を受けることもあった。
下部組織時代の話をすれば、隣のグラウンドでトップチームが練習している日もあったし、今所属している子供たちにとっても多分そうであるように、トップの選手はいつか自分がそうなりたいという憧れの存在であり、ビッグアイもまたいつかプロになって立ちたい憧れのピッチだった。
なんていうか、本当に身近なところに大分トリニータという存在があって、生活の一部というのも超えて、もはや人生を構成している何かだったんだよね。

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