人生のスピード

誰にでも聞けることではないし、誰もが答えてくれるわけでもないけど、人の生い立ちだとか、どんな日常を過ごしているかとか、そういう個人的すぎる個人的な部分の話を聞くのが好き。
でもそれを聞いて自分の人生に活かすとかではなく、ただ単に聞くこと自体に満足感を覚え、やっぱりいろんな人がいて、いろんな人生があるんだな~と感慨深く思うだけ。
本当に、いろんな人生がある。もちろんうまくいっている人もいれば、うまくいっていない人だっている。

誰だってそうだけど、人はよく自分の人生を他人の人生と比べてしまう。そして気にしてしまうのはいつも、自分が誰かより劣っている部分。
あの人に比べて自分は、異性にモテない。偏差値の高い学校に行けなかった。収入が少ない。休みが少ない。結婚ができていない。子供がいない。等々、わりと際限なく挙がると思う。
身体的な部分や性的指向的に例外の人は今回は置いておいて、人生においてほとんど誰もが通る道で、同年代と比べずにはいられない点を挙げるなら、
それはきっと「初体験、結婚、出産」辺りになるだろう。(こうして見るとどれも異性絡みのイベントだ)

自分も20代後半になったので、同級生たちが結婚式の写真や、子供の映像をSNSにアップしているのを頻繁に見かけるようになった。
その一方で、まだ結婚していない同世代も多くいるわけだけど、出産へのタイムリミットが迫っているのは事実なので、男子よりも女子の方が遥かに大きな焦燥感を抱いているように思える。
彼女たちの愚痴を聞けば、まるで自分自身の存在価値が薄れているように感じているのがわかる。でも残酷なことに、若ければ若いほど需要が多いというのは世の常だ。

同年代・同世代と比べてしまって、このままでは行き遅れてしまうと焦る気持ちは確かにわかる。猶予が長いとはいえ、男だって馬鹿にはしていられないことだから。
でも、焦りすぎるのは違うと思う。そういった人生の通過点が早ければ早いほど正解なのかというと、決してそうとは限らない。
なぜなら、何が正解かは誰にもわからないから。

十霊山

巡礼路の中にも必ずといっていいほど山が組み込まれているように、信仰と山は密接な関係にあると思う。
巡礼はさておき単体として見ても、山岳信仰の対象の山の多くは、宗教の成立より前に、自然崇拝(アニミズム)から始まった古い歴史を持つ信仰なのだと伝わっている。
そして当然なことではあるが、かつての古き良き道が排気ガスだらけのアスファルトの道に変わっても、ほとんどの山は今なお当時の形のまま残っている。
建国以来(同一王朝の国として)世界最古の歴史を持つ日本という国に尊さを見出すことができるように、その歴史の長さに重きを置くのなら、山への信仰心は既存の宗教よりも大きな意味を持つのかもしれない。

個人的に絶対に歩きたいと思っていた巡礼路を歩き終え、次は何をしようかと考えたときに、山に登りたいなという気持ちがあることに気付いた。
ではどういった山に登ろうかと考えたときに、やはり百名山あたりが候補になるのだろうが、どうにも自分は百名山の価値に以前から疑問を感じている。
百名山というのは一般的には深田久弥という小説家が選んだ百座を指すのだが、その多さゆえに、どこか乱雑な印象を受ける。
というのも、いくつかの選定基準はあるものの、深田が登頂した山から選定されているので、登っていない山は除外されたり、百名山発表後に登った山を加えたくなり、やっぱりあれも…という形で紹介された山もある。要はまあ、突っ込みを入れられることの多いリストというわけ。
また実際に登ることを想定すると、日本全国に百座も存在するとなると(登山を仕事にでもしていない限り)膨大な月日と費用が掛かってしまうし、そうなるとやはり、作業感が生まれるライフワークとなってしまう。
熊野古道で出会った百名山の踏破を目指している男性は、残り僅かとなったところで病気に罹ってしまい、全制覇は難しそうだというようなことを言っていた。

ええ、ここまで書けばご理解いただけるでしょう。そうです、じゃあ自分で考えたらいいじゃないかという話になるわけです。
実は前々から考えていたことであるが、自分が選定したリストをここで勝手に提唱したい。
石鎚山を紹介する際によく用いられる「日本七霊山」を基に、疑問に思っている部分(被りや歴史的背景等)を考慮に入れてアレンジをした。
選定基準は「霊峰としての権威があること」「標高1,000m以上」この2つだけ。標高が高けりゃ良いってわけではないし、前者が特に重要なので。

リストの名前は「十霊山」


第一座 富士山 3,376m
静岡県/山梨県

国内だけでなく国外でも有名な日本の象徴的存在。言わずもがな日本最高峰の山であり、富士信仰(浅間信仰)の対象。


第二座 立山 3,003m
富山県

厳密に言えば立山は単独峰ではなく連峰なので、ここでは雄山のことを指している。飛騨山脈(北アルプス)にある立山信仰の対象。


第三座 白山 2,702m
石川県/岐阜県

上の二座とともに日本三霊山に選定されている山。両白山地にある白山信仰の対象。


第四座 月山 1.984m
山形県

出羽三山の一つとして信仰の対象となっており、室町時代までは八幡大菩薩、現在は月読命が山の神とされている。十霊山の中では最東端となる。


第五座 御嶽山 3,067m
長野県/岐阜県

記憶も新しい2014年に自然の脅威を改めて全国に知らしめたが、その畏怖こそ本来の自然信仰に繋がるものなはず。三霊山入りも議論されるほどの権威を持つ御嶽信仰の対象。


第六座 大峰山 1.719m
奈良県

立山と同じようにここでは大峰山脈にある山上ヶ岳を指す。吉野と熊野を結ぶ古道、世界遺産でもある大峯奥駈道を構成する山。


第七座 大山 1,709m
鳥取県

中国地方最高峰であり独立峰でもある。最高点の剣ヶ峰は通行禁止なので、古くから頂上とされているのは第二峰の弥山。大山信仰の対象。


第八座 石鎚山 1,974m
愛媛県

四国だけでなく近畿以西の西日本最高峰。石鎚神社頂上社がある弥山までには鎖場があり、役小角や空海も修行した山岳としての雰囲気を残している。


第九座 英彦山 1,199m
福岡県/大分県

七霊山への最大の疑問は三大修験山(他は出羽と大峰)の英彦山が選ばれていないことだった。かつては八百坊・三千人規模の山伏集落があったと推測されている英彦山信仰の対象。


第十座 霧島山 1.574m
宮崎県/鹿児島県

こちらは高千穂峰を指す。富士山の対に置けるのは天孫降臨の地だけだと思う。頂上には天逆鉾が突き立てられている。霧島山信仰の対象であり、十霊山の最西端。


以上が十霊山のリストになるが、それなりに統一性のある基準・テーマで選定できたと思う。
実際に自分が登った山ではないので良い山かどうかはまだわからないけど、自然に神や仏を見出してきた日本人の信仰と深く繋がる霊峰ばかりというのは断言できる。

春は桜色

春は桜色。桜の色。長い冬を耐え抜いて花開く、この世で最も美しい花の淡い色。桜はやはり散り際にその美しさを際立てる。桜色の花びらが、まだ少し冷たい春の風に吹かれ、短い命を儚くも見事に舞い散らせる瞬間。

夏は青。青空の色。かんかん照りの太陽も、巨大な入道雲も、元気に育った向日葵も、夏の青空が一番似合う。蝉の声を聞きながら、あの日見た入道雲のように、遥か遠くにあった未来に立って、懐かしき過去の日々を振り返れば、いつだって、いつまでも色褪せない想い出が蘇ってくる。

秋は赤。夕焼けの色。真っ赤に染まった夕焼け空は、カラスとともに一日の終わりが迫っていることを知らせる。日没も早まり、一年の終わりすら予感させる黄昏時の帰り道に、思いを馳せるのは今日のことか明日のことか。また赤は紅葉の色でもある。世界を真っ赤に染め上げる季節。

冬は白。雪の色。夜が明けて、白い息を吐きながら、カーテンを開けると、窓の外に広がるのは一面の銀世界。最初の足跡をつけようと胸を躍らせるのは、決して子供と犬だけではないと教えてくれる無垢の季節。キラキラの雪化粧を施した草木が眠りにつくのは、めぐる季節の中で、再び目覚める芽吹きの時を待っているから。古い生命は終わりを告げ、新たな生命へと生まれ変わる。


完全に清少納言さんの「春はあけぼの」のパクリ、オマージュです。
春はあけぼのは枕草子の第一段、それには時間帯(明け方や夕暮れ)が挙げられているけど、ここでは色にしてみた。
結果的に元と被っているようなものもあるけど、一色に絞るのというのも難しかった。
特に夏。青ではなく、空色や天色とするのも良い気がしたし、花火も(夜空に咲く方も線香花火も)書きたいけどお決まりの色なんてないし。夏を読まれた和歌や俳句が少ないことからもわかるように、もののあはれ感が最も少ない季節なくせに、一番カラフルな季節っていうね。
他には秋の月夜や冬の夜の街灯に照らされる雪なんかも悪くなかったかも。ちなみに梅雨の色を挙げるなら紫です。

これもまたカテゴリーを作ったばっかしに、記事が見つかりません状態が続いていてどうしようかと思っていたから、書いてみたというあれ。
捻りはないけど、良いと思うものをただ良いと、当たり前を当たり前に挙げてみた。
今はこの随筆(エッセイ)はあまり更新しないと思うけど、書きたいこと伝えたいことは山程あるわけで、そのうち書くようになると思う。

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