フランス観光 Partie 1

サンティアゴ巡礼とフランス・スペイン(+シンガポール)観光を終えて帰国してから1週間が経った。
書き始めれば長ったらしい作業が始まってしまうから、という億劫さは当然あったけど、他にもやることがあってわりと忙しくしてた。
この1週間でどんな風に書くかも考えた。長くなってもいいから書きたいだけ書こうと決めた。写真の枚数も気にしない。本当は観光なんかはさらっと書きたいんだけど。
楽しみにしてるねという嬉しい言葉を何人かから貰っているので、できるだけ早くに書き終えたい。でも絶対に年内に終えられる気がしない。なぜなら写真を1万9千枚以上撮ってしまったから。気が狂ってる枚数ですよ。約2万枚の写真を見返すだけで半端じゃない時間が掛かりますよ。2万枚て。気が狂ってる。2万枚て。
この記事を投稿する日がいつになるかもわからない。まだ旅後の気怠さが抜け切れていないし、その気になってないというか、スイッチも入っていないから。あと起きてるときはだいたいワールドカップ観てるから。
でもまあ、ぼちぼち書いていきます。
理想は夏の間にすべて書き上げてしまうこと。だけど長引いて、6月中にフランス観光、7月~11月で巡礼、12月でスペインとシンガポール観光って感じの年内いっぱいコースが現実かな。多忙だったり、どこかに出掛けたりしてたら下手したら年越すだろうけど、うん、怒らないでね。

サンティアゴ巡礼のことを何と呼ぶか迷う。Wikipediaでは「サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」になっていて、現地では「カミーノ」という呼称が一般的で、「カミーノ・デ・サンティアゴ」と呼ぶ人もいるし、国内では「スペイン巡礼」も通じる。
多分カミーノで統一されていくと思う。そのことについてはカミーノの記事に移る際に改めて書く予定。
そのカミーノことサンティアゴ巡礼にはいくつかルートがあって、最も人気なルートで知名度もある「フランスの道」を今回自分は歩いた。
巡礼は家を出た時点で始まっている、みたいな言葉があるんだけど、スタートの街であるフランスのサン・ジャン・ピエド・ポーに向かう前に、せっかくフランスに行くなら観光もしときたいなーとパリを中心に1週間ほど観光したので、まずはそれから書く。
ってことで巡礼は少しお預けです。でも出発前の心境等はちゃんと書いておこう。

遍路を終えた時点で(あるいは終える前から)、次はスペインだなと決めてはいたけど、この旅を本気で決意したのは今年になってから。
巡礼や観光に必要な日数を大雑把に計算したり予定を立てたり、飛行機や宿の手配等、1月後半から2月後半に掛けて約1ヶ月を準備に費やし、3月になる前にはほとんど終わっていた。
でも出発の日が近づいても気分が昂ぶるわけではなく、穏やかというのも違って、案の定、波風がまったく立っていないような、もしくは自分自身がどんな感情を抱いているかよくわからない状態だった。
だけどカレンダーを4月へとめくる際の気持ちは清々しかったし、ブルームーンも見られたし、何より出発前に満開の桜が見られたのは良かった。これならもう飛行機事故が起きても、テロに巻き込まれても思い残すことはないなと言うほど桜は今年も綺麗だった。(不吉だし、実際は思い残すことだらけ)
これからの2ヶ月を楽しみに思うワクワク感は荷物を詰めているときだけ感じた。その瞬間はようやく楽しくなってきたか、ここからかと思ったが、すぐに元の状態に戻ってしまった。でも気持ちを高める方法は知らないし、逆に、不安はあってもそれに押し潰されそうというほどでもないから特に問題視はしなかった。
出発前の気懸かりや後悔は、事前に歩いたときにできた右足小指裏の水ぶくれ痕がまだ消えていないこと、前々日に牛タン定食を食べすぎて夜中に本気で吐きそうになっていたこと、荷物がやっぱり重たくなって少し腹立たしいこと(そのわりに忘れ物はないかと不安だった)。最も心配なのは飲食と通信環境だが、そんなのは現地に行かないとわからない。
数日前に百均で洗濯ネットと50mlのプラスチックボトルを買った帰り道で、若い母親に促された小さな男の子が横断歩道を渡る際に手を上げていたのに、自分は上げなかったことの後悔みたいなものも地味に思い出していたけど。
まあ、そんなこんなで(どんなだ)

日付は4月2日。夜。羽田空港国際線ターミナル。イヤホンから流れている音楽はDyE-Fantasy

C’est la vie. Que sera, sera

4月なんてあっという間に来るだろうという予想は外れようがなかったみたいだけど、出発まであと1週間というのに現実味がまったくないのはいかがなものか。
ワクワク感で満ち溢れていると助かるのに、なんだか遍路の出発前と似たような状態。もう残り1週間かーと思うだけ。

準備の進み具合はというと、だいたい必要なものは揃えたと思う。でも荷造りはこれから。バックパックには水入りペットボトルを昨日まで詰めてたから。
本番を想定したそれっぽいトレーニングを行ったのはたったの2回。低山や神社を往復して、距離はだいたい15kmや20kmちょい。
はい、余裕ぶっこいてますね。遍路前よりはましでも、多分3週間後には現地で苦しんで後悔してると思います()
あれだったら3月はジム行こうかなとも考えたんだけど、まさかの2ヶ月分前払いだったし、仕方ないんです。ええ。言い訳です。

他の準備もそうなんだけど、不安症のくせにめんどくさがりだから、あれこれと心配になってそわそわしていたかと思いきや、気付けば「まあ、なんとかなるだろ」みたいな感じになってることは多い。
遍路中の普通なら歩かない状態のときも「まあ、死にはしねーだろ」と旅を続けたし、これは長所であり短所でもあるんだろうけど、なんていうか、スマートではない。
投げ出してるのか、今さら足掻いても仕方ないだろと腹をくくってるのか。まあ、どっちでもいいけど。

お遍路の話続きで、あの旅の失敗(不運)を挙げるなら、まず装備を選び間違えたこと(+買い替える勇気もなかったこと)、不眠症からのスタート、わりと序盤でマメ処理を誤って皮膚の赤い部分を露出させたこと、レアポケモンをゲットするかのようなまさかの爪の化膿。といった感じ。そりゃ辛いわ。
自分への情けなさも感じるほどに自分のせいで過酷にしてしまった部分はあるけど、今回はあの時に比べれば装備も知識も少しは準備ができている気はする。
でも現代人の体は、毎日20kmや30km歩いて何の異常も起こらないようには作られていないと思う。よほど特殊な環境で生活していない限り、当然マメもできるし、疲れも溜まる。
だからまあこの手の旅は、修行だったり、信仰を深めるという面もあったように、何かしらのトラブルを抱えながら踏破を目指す旅。
テロや病気、大怪我といった洒落にならないトラブルがなければ多分歩き切るとは思うので、辛いだろうけど、どれだけ楽しめるかが重要。

語学力はやはり、ここ何年かずっと同じように、使わなきゃ衰えるなーと感じている。
英語に関して言えば、今より17や18のときにネイティブの友達とSkype繋いでた頃の方が遥かに聞き取れたし、喋れた。
フランス語とスペイン語は20フレーズくらいは頭に入れたけど、実際使うのは数個な気がする。
怠惰すなあ。Oui, 怠惰ですなあ。でもケセラセラでしょって感じなんですなあ。

うん、でも良いところというか、自分を褒めたいところもある。
25歳になったときは、もうアラサーやん…と震えてたけど、docomoのハピチャンは25までだし、ヨーロッパの交通機関は25まではYoung personのようなので、「20代前半は25歳まで」とすると、今回の巡礼の旅も、(ギリギリではあるけど)20代前半で歩くことになる。
自分の中で大きな目標(憧れ?)だった3つの巡礼路を20代前半で制覇できそうだということは素直に嬉しい。
いや、褒めたいじゃないなこれは。かっけーじゃんだな。
やりたいことはやれるうちにやってしまおう委員会と、自分がかっこいいと思う生き方は追求していきましょう倶楽部の一員なので、この調子で行こうと思います。20代前半はもう終わるけど。

なーんか頭の中ごちゃごちゃしてて、いろいろ書きたいのに何が書きたいのかよくわからない。
とりあえず、ここ最近、ブログを読んでくれるだけじゃなく、感想をくれる人たちもいて、それに心から喜んでおります。
いいねとかそういう反応があるだけでも嬉しい。今ならインスタ女子の気持ちもわかる気がする()
サンティアゴ巡礼の記事も楽しんでもらいたいなーと、書く前から、歩く前から願っています。

みんな誰かを求めている / Hypersomniac Olympics

みんな誰かを求めている。
みんな誰かを求めているから、どこもかしこも誰かを求めている誰かばかり。
男であれ、女であれ。
若者であれ、若くない者であれ。
独身であれ、既婚であれ。
積極的な人間であれ、消極的な人間であれ。
それはどんな人だって同じで、完全に満たされている少数以外はきっと誰かを必要としている。
一人では生きていけないから。

求めているのは友人かもしれないし、恋人かもしれないし、家族かもしれない。
大切な誰かに会いたい人もいれば、まだ見ぬ誰かに会ってみたい人もいる。
どんな相手を求めているかは人それぞれ。
でもみんな満たされない気持ちや状況を変えてくれる誰かに期待している。

だけど出会えるかどうかは運次第。
人生の中で出会うことのできる人もいれば、絶対に出会えない人もいる。
自分にとって相手が必要な存在であっても、相手にとって自分はその意味を持たないかもしれない。
期待通りにいくこともあれば、期待外れなことだってある。
初めてその手に触れた時に感じた喜びが、時が経てば消えてしまう可能性もある。
期待と失望。歓喜と錯覚。
結果は誰にもわからない。

出会いがあれば別れがある。
近付いては離れていく。
ずっとその繰り返し。
嬉しさもあれば、悲しみもある。
ずっと一緒にいる相手がいて、その相手が変わらない存在であり続けない限り、多分ずっとその繰り返し。

自分もきっと誰かを求めている。
その相手はどんな人だろうか。
もう出会っているかもしれないし、まだ出会っていないかもしれない。
まだ知らない物語のその先にいるかもしれない人。
ページを捲っていけばいずれわかるだろうけど、まだ知る由がない登場人物のこと。

結果はまだわからないのだから、期待をするのもしないのも同じこと。
でも、童話のお姫様のような淡い期待を抱いていても、罰が当たることはないだろうから、期待をしておくのも悪くはないかもしれない。
求めている、探している相手がそこにいて、その相手が自分を求めてくれること。
どうせどうなるかはまだわからないのだから。


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