春は桜色

春は桜色。桜の色。長い冬を耐え抜いて花開く、この世で最も美しい花の淡い色。桜はやはり散り際にその美しさを際立てる。桜色の花びらが、まだ少し冷たい春の風に吹かれ、短い命を儚くも見事に舞い散らせる瞬間。

夏は青。青空の色。かんかん照りの太陽も、巨大な入道雲も、元気に育った向日葵も、夏の青空が一番似合う。蝉の声を聞きながら、あの日見た入道雲のように、遥か遠くにあった未来に立って、懐かしき過去の日々を振り返れば、いつだって、いつまでも色褪せない想い出が蘇ってくる。

秋は赤。夕焼けの色。真っ赤に染まった夕焼け空は、カラスとともに一日の終わりが迫っていることを知らせる。日没も早まり、一年の終わりすら予感させる黄昏時の帰り道に、思いを馳せるのは今日のことか明日のことか。また赤は紅葉の色でもある。世界を真っ赤に染め上げる季節。

冬は白。雪の色。夜が明けて、白い息を吐きながら、カーテンを開けると、窓の外に広がるのは一面の銀世界。最初の足跡をつけようと胸を躍らせるのは、決して子供と犬だけではないと教えてくれる無垢の季節。キラキラの雪化粧を施した草木が眠りにつくのは、めぐる季節の中で、再び目覚める芽吹きの時を待っているから。古い生命は終わりを告げ、新たな生命へと生まれ変わる。


完全に清少納言さんの「春はあけぼの」のパクリ、オマージュです。
春はあけぼのは枕草子の第一段、それには時間帯(明け方や夕暮れ)が挙げられているけど、ここでは色にしてみた。
結果的に元と被っているようなものもあるけど、一色に絞るのというのも難しかった。
特に夏。青ではなく、空色や天色とするのも良い気がしたし、花火も(夜空に咲く方も線香花火も)書きたいけどお決まりの色なんてないし。夏を読まれた和歌や俳句が少ないことからもわかるように、もののあはれ感が最も少ない季節なくせに、一番カラフルな季節っていうね。
他には秋の月夜や冬の夜の街灯に照らされる雪なんかも悪くなかったかも。ちなみに梅雨の色を挙げるなら紫です。

これもまたカテゴリーを作ったばっかしに、記事が見つかりません状態が続いていてどうしようかと思っていたから、書いてみたというあれ。
捻りはないけど、良いと思うものをただ良いと、当たり前を当たり前に挙げてみた。
今はこの随筆(エッセイ)はあまり更新しないと思うけど、書きたいこと伝えたいことは山程あるわけで、そのうち書くようになると思う。

百人一首 現代語訳 91番~100番

第91番

後京極摂政前太政大臣ごきょうごくせっしょうさきのだいじょうだいじん (1169年-1206年)

きりぎりす 鳴くや霜夜しもよの さむしろに
衣かたしき ひとりかも寝む

現代語訳
こおろぎが 鳴く霜の降る 寒い夜に
衣一つで 独り寝るのか

【解説・鑑賞】
きりぎりすは現在のコオロギのこと。今も変わらず秋の風物詩であるようにこれも秋の歌。
後朝の元の漢字である衣衣という字からもわかるように、男女が寝る際はお互いの衣を広げ重ねて寝ていた。衣かたしき、つまり片方だけ敷くというのは相手がいないということ。さむしろは衣の下のむしろという敷物と、寒しの掛詞になっている。
要するに、相手のいない寒い秋の夜に一人で眠らなければいけない寂しさが詠まれている。

藤原良経は十代の頃から活躍した歌人。定家の父である俊成に歌を学び、定家の支援者でもあった。

第92番

二条院讃岐にじょういんのさぬき (生没年不詳)

わが袖は 潮干しほひに見えぬ 沖の石の
人こそ知らね 乾くまもなし

現代語訳
我が袖は 潮が引いても 海中に 沈み見えない 沖の石
人は知らずも 涙乾かず

【解説・鑑賞】
散々出てきた袖濡らすシリーズもこれで最後。海底にある石が水に隠れて見えないように、人に知られてはいないが私の袖は涙で乾く間もないと。
和泉式部の本歌取りで、おそらく秘密の恋の歌。人こそ知らねの人を世間と捉えるか、あの人と捉えるかで意味が違ってくる。後者だと片思いの歌。

二条院讃岐は父・源頼政の死後に遊女になったという説があり、「沖の石」がいつも濡れていることから、後に女性のアレの隠語として扱われるようになる。

百人一首 現代語訳 81番~90番

第81番

後徳大寺左大臣ごとくだいじのさだいじん (1139年-1192年)

ほととぎす 鳴きつる方を ながむれば
ただありあけの 月ぞ残れる

現代語訳
ほととぎす 鳴いてた方を 眺めても
ただ明け方の 月だけ残る

【解説・鑑賞】
情景がありありと思い浮かんでくる初夏の夜明けの歌。ホトトギスは日本には6月前に渡って来るので、夏の訪れを知らせてくれる鳥として和歌の世界でもよく登場する。
ホトトギスのその年の第一声を聞くというのが当時とても流行していたらしい。でもホトトギスって移動速度がかなり速いから、あっ!鳴いた!と思ってそちらを見てみても既に姿はなく、有明の月が残っているだけという状況は(その流行もあって)昔の人は共感できたのだと思う。

藤原実定は定家の従兄弟。歌人としても評価されていたが、九条兼実と共に、朝廷と鎌倉幕府の仲介に尽力していたことでも知られている。

第82番

道因法師どういんほうし (1090年-1182年)

思ひわび さてもいのちは あるものを
憂きにたへぬは 涙なりけり

現代語訳
嘆いても 命は続いて ゆくけれど 
堪え切れずに 零れる涙

【解説・鑑賞】
法師とはいっても83歳で出家した人なので自分の過去の経験を詠んだもの。70歳を過ぎても京都から大阪の住吉大社まで毎月「良い歌が詠めますように」とお願いしに通っていたほど和歌に人生を捧げた人物。活躍するのは高齢になってからだけど。

叶わない恋を続けること、つれない相手を想い続けるというのは辛いこと。でも恋で命が終わることはないので、堪え切れずに溢れてくるのは涙。という歌。

Scroll to top